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プリンシプルのない日本 白洲次郎 ワイアンドエフ

 白洲次郎について書かれた本を読んだのだから、
白洲次郎が書いた本も読もうと思い、夫の本棚を探していたらみつけました。
これは、白洲次郎が雑誌に載せたものをまとめて1冊の本にしたものです。

ドラマの印象が強くて、読みながら写真で知った白洲次郎のお顔ではなく、ドラマで演じていた俳優さんのお顔が浮かんできました。
やっぱりね、動いている人物を観たというのは、大きなことなのね。

歯になーんにも着せない物の言い方、
ほとんどの文章は怒っています。
でも、その文章はどこかユーモラスで思わず笑ってしまうこともたびたびありました。

白洲次郎と親しかった今日出海は彼を「育ちのいい野蛮人」とあらわしていましたが、
この「育ちのいい野蛮人」が奮闘している姿がすばらしいのです。
モリヤ * さ行 * 08:25 * comments(0) * trackbacks(0)

陋巷に在り(9)~(13) 酒見賢一 新潮社

13巻、読み終えてしまった・・・・
9巻は「眩の巻」
10巻は「命の巻」
11巻は「顔の巻」
12巻は「聖の巻」
13巻は「魯の巻」

物語はどんどん進み、ええーーっという展開になるのでした。
実在の人物がたくさん出てくる物語は、どこまでが史実でどのあたりが違うのかを、無知な私は見分けることができません。ので、全て物語りとして読みます。が、きっと大筋は史実なのだろうな・・・・と思ったりもします。

面白かったです。
13巻もあるわけですから、登場人物もたくさんいますが、どの人物もその容姿が目に浮かぶのです。
身長2m以上もある大男の孔子、
色白でほっそりとした顔回
豪快で乱暴者ではあるけれど正義の人、子路
敵対する小正卯の気味悪さ
悪悦の残忍な表情
子蓉の妖艶さ

映画にならないかな・・・・ならないか・・・
顔回を金城武で、映画になったらいいのにな・・・・

メモ
君子は後に照らして心が苦しくなるようなことをしてはなるまい。

呪術の方法、または解除する方法には古来より掃くというやり方がある。文字通り掃くという簡便な方法である。そのさい箒は呪具ともなる。破邪の具にもなり、魔術の具にもなる。西洋では箒は魔女のトレードマーク的な道具として欠かせぬものだ。日本の神社では空中を祓麻で掃いて、祓い清めの儀を行うが、これも箒の術の一例と考えてよい。また祈晴の厭勝としてよく行われるてるてる坊主も、その元は掃晴娘と呼ばれるたいてい紙の雛人形である。掃晴娘は両手に箒を持ち、雨雲を掃き散らすのである。

新しいものなど不要という叫びは、変化への恐怖が言わせるのである。その結果、天命をうけし者、本来なら尼丘が支援せねばならぬ者たちを拒むことになった。顔徴在が斥けられ、孔子は疎まれることになったのは、無意識であるにせよ、固陋の者たちにひどく恐れられたからであった。

思えばそもそも力自体に倫理道徳的なものはないのである。力を善く使って福をなすことも出来るし、力を悪しく使って禍をなすことも出来る。使う者は仕合せにもなれるし、その為に非業にして亡びることもある。しかし使われる力は同じものであり、ただ使う者の意図や目的により他者より道徳的評価が下されるにすぎない。実に単純なことなのである。神の力もそうなのかもしれない。
 たとえば人は食物を摂って、己の活動のための力とする。そして善事も行えるし悪事も行える。だが食物が与えた栄養、活動の為の力のどこに善悪があろう。食物は力であり生き物にエネルギーを与えるだけで、それには倫理性も道徳性もない。ただそれを食した者には責任というものが発生する。つまりは人間に道徳倫理を弁える必要があるだけである。

秘や密というものをあまり舐めないほうがよい。それを語る者をまず怪しむべきである。理なる視力を持たぬ者は容易にうまい話の被害に遭ったり、非現実的なオカルトを信じ込み、常識外れのイデオロギーに取り込まれ、陰謀史観のようなものの虜となる。一度そうなってしまったら、その枠組みに固着してしまい、捨てたくないばかりに感情で物を言うようになる。秘密を見る視力を持たぬ者はあっさりと心の闇の中に墜落する。

・・・一本の芯、焦点があり、それに沿って内面に入り込む。だが思考などをいう堅さはなく、さりとて妄想にぶれることもない。その意識は凪の海のように広がり、また静かであり、潮の流れに任せているが、ゆれ動かない一点の的がある。思いに沈潜もしないし浮上もしない。
 これを宗教者は瞑想というかも知れないが、「瞑想」と名付けてよんだ瞬間に意識は枠にはめられてしまい、堅くなってしまう。心の波に名という固定はないのである。




 
モリヤ * さ行 * 09:42 * comments(2) * trackbacks(0)

陋巷に在り(6)〜(8) 酒見賢一 新潮社

 6巻は劇の巻、7巻は医の巻、8巻は冥の巻です。
孔子、顔回たちに敵対する一味が暗躍します。
孔子が行おうとしている政治改革は、その一味のために悲惨な結末を迎え、
また顔回を慕う少女にも魔の手が伸び、瀕死の状態にまでなってしまいます。
この小説の主人公である顔回は、少女を救うために南方から招かれた医者の指示で冥界へとおりていくのです。

読んでいてすっごく怖いです。
敵対者が強すぎるんです。
もうすっかり私は顔回によりそって、物語に入り込み、はらはらのしどおしです。
こういうのって、ほんと小説を読む醍醐味なんだわ。

それにあちこちに出る作者の歴史的な解説はやはり興味ぶかいものばかり。
こっちもかなり面白いのです。

桃の木の話では
抜粋
 ・・・だが一方では桃には別に悪事を働きにきたのではない鬼神までおそれさせるほどの力があるので、鬼神招魂の際には祭祀の際には遠慮して用いられないこともある。家の庭に一本でも桃の木を植えてあれば、番犬を置く以上の効果をあげ、家に多くの幸いを呼び込むといわれて重宝がられた霊木であった。
 神話伝説の類には桃の霊力を記しとどめるものが少なくない。桃太郎の昔話などはそのままの意味を持っている。また「古事記」にイザナギがよみがえりする時、夫を恨んだイザナミに命じられて執拗に追跡して来た黄泉醜女を撃退するのに使ったもの桃であった。その呪能の強さ故にイザナギは神の名まで桃に与えている。

なんてところでは、ほお・・・桃太郎ねえ・・・と思い、
そういえば(台湾だったけれど)桃の形の急須がきれいでおもわず買ってきたなあ、と思い出したりするのでした。

モリヤ * さ行 * 09:52 * comments(0) * trackbacks(0)

陋巷に在り(4)(5) 酒見賢一 新潮社

 4巻は「徒の巻」5巻は「妨の巻」です。
孔子に敵対する謎の人物とその一味がますます暗躍します。
もうはらはらのしどおしです。
孔子の弟子でありこの小説の主人公顔回を慕う陋巷の少女、「よ」にも、その魔の手が及び、とんでもないことになっていくのです。

徒とは、
初形は辻に作り、土声。土は辻の意で、もとその社に属するものを徒と称したのであろう。徒は俗字とされているが、金文にまたその字形に作るものがある。「説文」に「歩して行くなり」とあり、車乗に対して徒行することをいうとする。それで従者の意となり、軍において装飾なきものの意となり、人においては無為という字となる。古くは司徒の職を司士と称しており、人民はその土、すなわち社に属するものとして扱われた。すなわち氏子であった。
妨とは、
声符は方。方は呪禁にして妨の意がある。「説文」に「害するなり」とあり、「六書故」に、「女人は他の進むを防ぐるなり」とするが、巫女をもって妨あつとした、古代の呪的な方法のなごりであろう。方は架屍、曷は屍体を用いて呪禁とする方法であった。方に従う字のうちには、そのような古い呪的方法のなごりを残しているものがある。

というように、小説の冒頭に白川静さんの「字統」からの抜粋があるのです。
本の終わりにも、参考文献の一覧にもこの方の名前がずらずらと・・・

ああ、また読みたい本が広がりそうで・・・
うれしい・・・・
モリヤ * さ行 * 09:24 * comments(0) * trackbacks(0)

陋巷に在り(2)(3) 酒見賢一 新潮社

2巻は「呪の巻」3巻は「媚の巻」です。

南方の術者が孔子たちの前にあらわれ、呪術合戦が繰り広げられます。
もうファンタジーの世界です。
恐ろしい闘いです。どんどん引込まれます。
謎の敵対者、人とは思えぬほどの強さと恐ろしさを持っています。
また媚術をつかう絶世の美女があらわれ、主人公顔回と闘いの中で恋を感じたりもします。

随所に出てくる作者の歴史的解説があいかわらず興味をそそります。
また読んでいて、
今の私達の生活に根付いている慣習が中国のここによるものなのか、と思うものも多く、それがまた面白いのでした。

抜粋
家内ではみだりに人や物を指さしてはならない。指さすことは害を与えようとする呪いにつながるからである。また家内では口笛を吹いてはならない。夜ならば別してそうである。口笛は迷う鬼神を招き、家霊を惑わすものだからである。

豆類が逐鬼の神秘力を持つことは常識とされている。北方では豆と言えばまず大豆であったろう。これが南方ならば小豆が使われる。小豆が持つ魔除けの力はことに絶大であったとされる。現代日本においても大豆と小豆が厄病神や悪鬼を駆逐し、福寿を呼び込む行事に使われ続けていることは周知の通りである。節分の豆撒き、祝い事の赤飯など、これは現代に残り得た古代呪術の痕跡の例としてよくあげられる。

などなど。

またこんな美しい文章も、いいなあ。

雲が月を隠す夜は闇がつねより重苦しい。不吉が幾つ起きようと照らさないでやろうと雨師が提案しているかのようだ。雲が時々きれて月が顔を出しても、その不吉さは払拭されない。


3巻は
えっ、この人、ここで死んじゃうの!?という驚きもあり
これから先がまたまた楽しみになってしまいました。

実は先日テレビで白州次郎のことをやっていて、白州次郎について読みたいと思っているのです。ちょうど夫の本棚にあったので、「陋巷に在り」に横入りさせて読もうと思ってもいるのですが(13巻もあるので)、なにせこの本が面白くって、なかなか横入りさせることができません。

 
モリヤ * さ行 * 09:47 * comments(0) * trackbacks(0)

陋巷に在り(1) 酒見賢一 新潮文庫

 これは13巻まであるんです・・・
1巻はもう十数年前に、たぶん出版された頃に読んでいて、おもしろーい!という記憶があるのですが、その後は読み続けることもなく今まで来ていました。が
ざる頭の記憶を辿り、ほとんど内容は忘れているけれどたしか孔子のことが描かれていたはず、と思い、中国づいていることもあって、読み返し、また13巻まで読み通すことにしました。

1巻目は「儒の巻」です。

時代は周が興ってから500年。春秋の時代です。
孔子はすでに名のある人物なのですが、まだ不遇の時です。
主人公は孔子第1の弟子といわれる顔回。

私は単に歴史を読みたいと思っているのですが、
このお話は、歴史を下敷きに、史実をおいながらも
やはり小説らしく呪者たちの闘いが繰り広げられるファンタジーなのでした。
それでもしょっちゅう作者の歴史的な解説などが入り、
私としては、そっちが興味があって、読んでいて楽しいの。

この時代はまだまだ
生活や政治に呪が密着していたのね。

13巻読破!

モリヤ * さ行 * 08:22 * comments(0) * trackbacks(1)

周公旦 酒見賢一 文春文庫


中国歴史物です。
今度の時代は周。殷を倒し周を興した頃のお話です。
周公旦は、周の武王の弟でありますが、この頃の中国は長子が王を継承するらしく、武王がはやくに亡くなったため、息子の成王は赤ん坊のうちに王になってしまうわけです。その王が自分で国を治められるようになるまで、摂政として周を守っていく人なのですね。
非常に徳の高い人物で、殷を倒したもののまだ脆弱な周を守るために、活躍するわけです。
のちに出てくる孔子が夢にまで見たという至高の聖人なのだそうです。

小説というよりも、歴史物語と言いたいな。
史実をおいながら周公旦という人物が描かれるのです。破天荒なエピソードはあまりありませんが、冷静に慎重に周王朝をととのえていく周公旦の手腕がみものです。
周の時代は、まだ迷信や呪術が大きく政治に力を及ぼしていた時代なのですね。
周公旦も祭祀をおこなう人なのですが、
成王に疎んじられ、未開の地「楚」に亡命したときに、あまりにも周と違う楚の祭祀を見ることになります。ここで、
「われらは魂魄を静めるように鎮めるように礼を行う。南人は、燃え立たせるように、復活させるように礼を行う」と違いを認め「楚の祭祀に対して決して嫌悪を感じたりしなかった」と違う相手を認めるのです。
ここにまた、周公旦のすばらしい大きさを感じたな。 

モリヤ * さ行 * 07:36 * comments(0) * trackbacks(0)

史記(1) 司馬遷 市川宏+杉本達夫訳 徳間文庫

 史記は、やはり読んでみたいと思って。
これ8巻まであるんです。
でも、読めるかどうか自信がなかったので、とりあえず1巻だけ買いました。

この「史記」は、「史記を読むためのテキスト」とう感じです。
実際の「史記」がどのように編纂されているのかしりませんが、
このシリーズは、初心者が読みやすいようになっているらしいです。

1巻目は、覇者の条件
2巻目  乱世の群像
3巻目  独裁の虚実
4巻目  逆転の力学
5巻目  権力の構造
6巻目  歴史の底流
7巻目  思想の命運
8巻目  「史記」小事典
と、なっています。

1巻目は伝説の時代から春秋・戦国時代の各国の話。
最初にポイントをまとめた文章が数行あり、それから現代語に訳されたものがあり、そのあとに漢文、読み下し文が載っています。

私にはこれがありがたいなあ。
「史記」は司馬遷がまとめた、神話の時代から漢の時代までもの。私は、ちょうどこのあたりの時代に興味があります。春秋・戦国時代なんて、どんなんだったのだろう、とわくわくします。
2巻目以降も買おうかな。
モリヤ * さ行 * 09:29 * comments(0) * trackbacks(0)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 理論社

サイバラ!って感じです。
すぱんと突き抜けた、痛快な本でした。
書かれていることは、とってもまっとうで、
子ども達にぜひ読ませたい本です。

中高生に贈る人生の本って感じかなあ。

私は野良ペンギンの話がとっても好き。
西原理恵子の育った高知の漁村では、
野良のペンギンがいたのだと。
高知でペンギンですか・・・・って、ぶっとんでしまいました。

抜粋
だけど、たしかなものが何ひとつなくたって、歩き出さなきゃならないときがある。

何かをやりはじめたとき、誰もが最初にぶち当たる壁は、自分の実力を知らなきゃいけないってことだと思う。

たとえ最下位だろうと、どこがどう最下位なのか、自分のことをちゃんとよくわかれば、勝つ目は必ず見えてくるはず。

フリーランスで仕事をしている先輩から、こう教わったことがある。
「とりあえず二年、がむしゃらに走ってみな。二年食えたらだいじょうぶだよ」って。自分が何ができるのかもわかっていない、未熟なころに、仕事を選ばなくってよかったと思う。
 よく「自分に向いてる仕事がない」って言う人がいるけど、食わず嫌いしてるってことも、あるんじゃないかな。やってみなきゃわからない。そんなことって、この世界には、いっぱいあるからね。自分のことをやる前から過大評価してると、せっかくのチャンスを逃してしまうかもしれないよ。

「才能」っていうのは、そんなふうに、自分だけじゃわからない、見えてないものだと思う。自分で「こうだ」と思い込んでいることって、案外、的外れだったりするからね。

働きなさい。働いて、お金を稼ぎなさい。そうして強くなりなさい。それが、大人になるっていうことなんだと思う。

目次も面白かったです。
第1章 どん底で息をし、どん底で眠っていた。「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。
第2章 自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れるということだった。
第3章 ギャンブル、為替、そして借金。「カネ」を失うことで見えてくるもの。
第4章 自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てば、ぶっちぎれる。
第5章 外に出て行くこと。「カネ」の向こう側へ行こうとすること。

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モリヤ * さ行 * 08:34 * comments(0) * trackbacks(0)

空海の風景(上)(下) 司馬遼太郎 中公文庫

司馬遼太郎が続いています。

今回は空海。
空海の名前は、小学生の社会科で歴史を習った時に、最澄とセットで名前を覚えました。
最澄は天台宗、空海は真言宗。
それだけだったなあ・・・・
他は何も知らなかった。

空海が讃岐の人だったとか、
最澄と同じときに遣唐使の一人として唐に渡ったということも。
最澄と空海の間に行き来があったということも。

最澄との対比が面白かったです。
最澄って、いい人だったのだなと思う。
空海の持つしたたかさは、最澄には無縁のものだったのだと思う。

空海はとてもエネルギーに満ちあふれた人で、
その当時の修行僧の多く見られる、世をはかなんで山にこもる、なんていう感覚とは無縁だったのね。その明るさやエネルギーがすごいなあ・・・
ふつうの人じゃできないような
沢山の資金を集めて唐に渡ったり、
20年の修業が必要といわれたところを、2年で終えてしまったり、
超人だ・・・・

この本は面白かったけれど、むずかしかったので、
これ以上の感想が、私には書けません・・・・








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モリヤ * さ行 * 08:28 * comments(0) * trackbacks(0)
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