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青春の夢と遊び 河合隼雄 講談社α文庫

一冊の本を読み終えて次にいくときに、どれにしようか迷うことが楽しいのよね。
ここしばらく河合さんを読み続けているので、今回は違う人にしようかな、とか、ずいぶん小説を読んでいないから、久々に小説を読もうかな、とか。

今回はちょっと迷ったのだけれど、結局また河合さんのご本を手にとってしまいました。
今度は青年期についての本でした。
読んでいくと
「・・・この先生が遊び半分を「中途半端」と誤解したため失敗した点にある。遊び半分は全力をあげてやらないと駄目なのだ。そして、実はこれはなかなかむずかしいことで相当な修練を必要とする。」というところがあって、何年か前に亡くなってしまった友人が、よく「一生懸命遊ばなきゃ、駄目なんですよ」と言っていたことを思い出しました。
 その人の言う「遊ぶもの」は、イコール「とても大切にしている事柄」だったので。同じような内容を言っても、人によっては「努力する」だとか「修練する」なんて言葉を使うこともあるだろうなと思ったりしました。私はそこを「遊ぶ」という言葉を使ったその人の感覚にとても共感したのだけれど。

で、抜粋
青春は年老いた者にも突然に訪れたりする。「内なる青春」についてよく知ると、中・高年の人生がおもしろくなる。「近頃の若い者は」とおきまりの嘆き節で周囲を迷惑がらせるのではなく、自分自身が「若者の特権」を味わったりもできるものである。人生に春はーー冬もーー何度も来る。

西洋近代の自我は、自分を相当に他から切断された存在として自覚しているのに対し、日本人の自我は常に他とのつながりを意識している、

理想を実現するためには「一挙にじゃなく、ゆるゆると時間をかけて」歩まねばならないのに、「現実での過程をとばして、安易にニセの」理想実現を夢みるとき、それをセンチメンタルということができるだろう。

人間は身体をもっている。というものの身体抜きではその人間の「存在」は感じられないのだから、身体のほうがその人間をもっていると言うべきかもしれない。

相手が幾つだろうと、自分自身がどういう人間であろうと、僕はある種のことに対しては手加減をいうものができないのだ。下らないものは下らないと思うし、我慢できないことは我慢できないのだ。(村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」から引用)

「下らないことを下らないと思うし、我慢できないことは我慢できない」ことを自他に対して明確にすること、それがその人の倫理観である。

・・・高い生活の獲得のためには「戦い」が必要である。ロマン主義はそのような戦いによって成就されることを、われわれは認識しなくてはならない。
 このことの認識が明確でないために、日本人にはロマン主義がわからない人が多いように思う。日本人が「ロマンチック」と言う場合は、多くは「センチメンタル」と言いかえたほうが適切なように思われる。

(古事記のなかの)天若日子が死んだときに、彼の父や妻子などが集まり喪屋をつくり、「日八日夜八日を遊びたりき」と記されている。おそらく八日間の連日連夜、歌舞などを行ったのであろうか、これは明らかに宗教的儀式である。死者の霊を弔うか、あるいはけがれを祓う意味あいでなされたのであろう。そもそも当時は「遊ぶ」という動詞そのものに宗教的な意味あいがこめられていたのではないかと思う。

人生にはどうしようもないことがある。死はその最たるものである。自分にとってどうしようもないことがあると知ることは、自分を超えることが存在するという自覚のはじまりである。

安易な楽しみは長続きがせず、楽しみを深めるためには苦しみを味わわねばならないが、あくまで楽しみを中心におきながら苦しむのと、苦しみのために苦しんでいるのとでは大きい差がある。しかも、前者のほうが効果的であるなら、なおさらである。

まったくの裏返しというのは、本質的にあまり変りがない。

ホームレスは現代の大きい問題である。家があり両親があり、物が豊富にありながら、心理的には「ホームレス」の子どもたちがいる。
 心理的ホームレスの人の「家庭」への希求は大きい。その夢はふくらむばかりで、普通の人間関係に満足できない。少し親しい人ができはじめるとその関係がすぐ悪化する。多くを求めすぎるので相手が耐えられなくなったり、相手のちょっとした心の動きを捉えて、自分のことをおろそかにしたと感じ(それは見当はずれではないのだが、判断が厳しすぎるのだ)、関係を断ってしまう。時には、相当に破壊的な行動に出ることもある。

現場は大切ですね。やはり、人間という混沌としたものをきちんと、理解できるようにすじみちをつけろというほうが間違っているわけであって、ダイナミックに丸ごとを見てこそ、はみだした部分に重要なものが感じられるんですね。(吉本ばななとの対談で。吉本ばななのことば)


モリヤ * か行 * 09:32 * comments(0) * trackbacks(0)

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