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最後の授業 ランディ・パウシュ ランダムハウス講談社

著者はカーネギーメロン大学の教授。
バーチャルリアリティの第一人者、コンピュータサイエンス界の世界的権威と称される人物。
彼は膵臓癌で余命半年の宣告を受け、その最後の授業を行う。
この本は、ジェフリー・ザスローが、彼の53回の講義で語ったものをまとめたものです。

未来を背負う教え子に、
愛する家族に、
よき友人に
むけてのメッセージでした。

余命の宣告を受けるって、どんな気持ちなのだろう。
彼は、わからないままに死を迎えるよりも、
余命の宣告を受けて、
残された時間を最大限に思いを込めて過した人なのだろうな、と思います。

メモ
大切なのは完璧な答えではないーー限られたなかで最善の努力をすることだ。

威厳と自尊心の問題だ。虚栄心とは少しだけ違うんだ。

たまたまここに迷い込んで、事情を知らない人がいるかもしれません。父は僕にいつも、部屋に象がいたら、まず象を紹介しなさいといいました。(中略)「部屋にいる象」。無視しようのない明らかな問題が目の前にあるあと、人は見てみぬふりをしようとする。小さな部屋に象と一緒にいても、像に気がついていないふりをするのだ。

「きみが賢いのは知っている」と、僕は言った。「でも、ここにいる全員が賢い。賢いだけではだめだ。僕が研究チームに求めるのは、一緒にいるみんなが幸せな気分になることを手助けできる人だ」

自分を正確に評価できなければ、よくなっているのか、悪くなっているのか、知りようもない。

自分に対する評価をすすんで受け入れることは、僕が教育者として経験してきたなかでもいちばんむずかしい(僕自身の私生活でも簡単ではない)。残念ながらあまりに多くの親や教育者が、この問題をあきらめてしまう。自尊心を育てることについて語るときも、人格形成の誠実さより、中身のないご機嫌とりに頼りがちだ。現代の教育制度の下方スパイラルに関する話しはあまりによく聞くが、カギとなる要因のひとつは、子供をおだてすぎて本物のフィードバックが少なすぎることだろう。

何を言ったかではなく、何をやったかに注目する

経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ。そして経験は、きみが提供できるなかで、たいていもっとも価値のあるものだ。

責任を語らずに権利を語っても意味がない。権利は共同体から発生し、その見返りに僕たち全員は共同体に責任を負う。これを「共同体主義」と呼ぶ人もいるが、僕は常識と呼ぼう。

親ならだれでも、自分の子供に善悪の分別を教え、自分が大切だと思うことを伝え、人生で訪れる問題にどのように立ち向かうかを教えてやりたい。自分が人生で学んだことを話して、子供が人生を歩む道しるべのひとつにしてほしい。

JUGEMテーマ:読書


モリヤ * は行 * 10:58 * comments(0) * trackbacks(0)

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